披露宴イメージ

披露宴のドレスは手作りで・・・「ありがとう」

私は自分の披露宴で、純白のウエディングドレスhttp://www.wgmcmahon.com/7.htmlを自ら手作りしたものを着用しました。
私は幼い頃から、物を作るのが大好きでいつも絵を書いたり、工作したりしていました。
母も夏には浴衣、冬には手編みのセーターを編んでくれるような器用な人で、父は自営業でデザイン事務所を営んでいましたので、何かを作り出す事が身近に感じていました。
そんな環境で育ったので、ごく自然に洋裁に興味を持ち中学1年生になる事には将来は「ファッションデザイナー」になるのが夢だと、家族に断言していた程でした。
その当時の私が夢見るデザイナーは、パリコレに出るような超一流デザイナー。
両親は否定もせずに、夢や目標をもってしっかり勉強すれば近づくことはできるたかと、応援してくれていました。
高校は県内で唯一服飾デザインのコースがある学校に進学し、その後は県外の服飾専門学校へ。
私のファッションデザイナーへの夢は途切れる事はありませんでした。
服飾専門学校では、毎日大好きな服作りの勉強と同じ目標を持った友人達と刺激の多い日々を過ごしました。
初めて実家を離れてみて、最初の頃は寂しくて泣いた日もありましたが、高い学費と下宿代を出してくれている両親の顔を思い浮かべると乗り越える事ができました。
何より私の夢を応援してくれているのが、言わないけど伝わっていました。
最終学年に入り、いよいよ就職活動の時期となりました。
私の夢のデザイナー職は、求人があったとしても採用人数は1〜2名と狭き門でした。
でも私は絶対デザイナーになりたかったし、3年間専門学校で学び周りの仲間達を見て、客観的に私はデザイナーの仕事に向いている思っていました。
私はどちらかと言うと、自分が着飾る事にはあまり興味が無く、新しいデザインを考え実際に手を動かすのが好きな職人タイプだったからです。
東京勤務のデザイナー職の求人を見つけた時は即、履歴書を書いて面接を受けに行きました。
結果は、採用。
とてもとても嬉しかったです。
両親にデザイナーとして採用されたと電話した時は、涙がでました。
その後私は東京に引っ越し、デザイナーとして歩み始めました。
好きな事を仕事にしたけれど、現実はそう甘くなく人間関係に悩んだ日々もありました。

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